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コラム『青畳の記憶』~OBからの寄稿文~

第10回: 早大柔道部がくれたもの
川地 康仁(平成2年卒)
川地 康仁(平成2年卒)
川地 康仁(平成2年卒)
日華化学株式会社

平成2年卒業の川地です。
諸先輩方に措かれましては、皆様お元気でお過ごしの事と存じ上げます。
後輩の皆様には ゛久しぶり!゛ 又は ゛初めまして゛ ですね。
卒業から21年、忘れられない青春を顧みる機会を頂けたようで記憶を呼び起こしたいと思います。
思えば本当に弱い学年だったと思います。前後世代に高木さん、小泉さん、亀山さん、道脇、森川、
そして吉村監督と言った個性派実力者を拝し、さてどうしたものか? 思い悩んだ4年間だったのかも
知れません。

福井の片田舎で少しヤルナーと言われた柔道は早稲田入学最初から小野澤先生からは田舎柔道と
全否定、大澤先生からは針金と言われ、実際当時居た先輩方々、誰一人に勝てない、今にして思えば
何故柔道部?と言われても仕方ない有り様だったと思います。
入部して一ヶ月、遠藤先輩の必殺口車に引っ掛かってしまい入寮、以来1年間は唯一の1年寮生として諸先輩方に可愛がって戴きました。

石神井公園の花見では4月なのに亀山杯100m競泳大会が 開催され、パンツの中にカワエビをしまいこんで一夜を過ごしました。高木先輩からは歌舞伎町でナンパしてこいと言われ、声をかけた女の彼氏が゛ふざけんなー!゛と襲い掛かってきたけれど、道場でも見せないような見事な足払いで一本を取ったことも忘れようにも忘れられません。゛素人投げるのは難しいんだよ!゛亀山先輩の迷言です。

2年の早慶戦、下級生に比べて不甲斐ない結果しか残せずに居酒屋ホルモンで悔し泣きした自分を慰めてくれたのは日頃からイジメまくられていた小泉先輩でした。
直ぐに彼女にしたい候補を見つけてきては、直ぐに失恋、やけ酒を飲むのは吉村監督で、昔からほれっぽい男でした。
最後の早慶戦に向けた強化合宿、フラストレーションを受け止めてくれたのは三浦寮長でした。

4年の東京学生選手権前夜にわざわざ寮まで来て頂き、鰹のタタキを自ら焼いて食わせてくれたのは結城先輩です。
初めて海外、世界を見せてくれたのは三輪先輩です。今の仕事を目指した原点でした。
社会人になり、仕事でブラジルに行ったときに自分の農場で羊を1匹丸焼きにして歓迎してくれたのは石井先輩です。数日は地酒が抜けず、仕事になりませんでした。
柔道部、レスリング部の両OB である香港在住の岩見先輩は家族一同、初めての海外生活を支えて戴きました。
弱くて頼りない世代ではありましたが、どの先輩.後輩も本当に兄弟の様に接してくれました。どんなに世代が離れても「JUDO」のキーワードだけで世界中何処でも受け入れて頂けました。

最後の早慶戦で観客席OBの皆さんから受けた声援は今でも忘れることなく体が震えます。
私は早稲田柔道部とは ゛そういうもの゛と思います。どんなに離れていても、どんなに会っていなくても直ぐに当時の会話に戻れてしまう、いつの間にか横に座って一緒に酒を飲んでいる、そんな仲間なのだと思います。

私は今、地元鯖江の中学生に週イチで柔道を教えています。最近は少し体が大きい中学生の相手をするにも仕事1週間を犠牲にする覚悟で臨んでいますが、彼らが何時か学生柔道、できるならば早稲田柔道部の檜舞台で活躍できれば、これ以上の幸せはないと思います。

とりとめの無い記憶の羅列でしたが、早稲田柔道部の更なる発展を遥か福井の地で、OGの嫁さん共々お祈りして私の青畳の記憶を終わりたいと思います。次の人は色々と悩みましたが、一番世話になって何も恩返しができていないドイツ在住の三輪先輩に御願いしたいと思います。先輩宜しく!

[2011年06月13日]