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コラム『青畳の記憶』~OBからの寄稿文~

第13回: 三人の恩師
松本 豊二(昭和46年卒)
松本 豊二(昭和46年卒)
松本 豊二(昭和46年卒)
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1.はじめに
 人生の節目毎に、新しい出会いと別れがあります。私の人生において、転機となった時期に素晴らしい恩師に出会えたことが、いま現在があるのだと感謝しています。

2.川越市立仙波小学校6年3組「勝俣学級」
 当時は学校の授業よりも外で暗くなるまで三角ベースの野球、ドッジボール、ソフトボール、陸上競技、ボール投げ、相撲等々の運動のみの小学生だった。はたまた1960年の安保反対のデモ行進を校庭で、見よう見まねでやったりしていた。ガキ大将そのものであった。
 転機となったのが勝俣福志先生の一言、「授業中すごく小さくなっている。運動しているときの元気を教室で発揮しなさい。」それから授業でも活発に発言をするようになり、作文を書くときも何回も書き直され、観察力と起承転結を心掛けて少しは書けるようになった。
その当時の私の作文には、勝俣先生の親友が米国の鉄道王で活躍している話を何回も聴かせてもらった影響で、「ブラジルに移民してコヒー園を開墾する。」趣旨のものがある。
 このクラスの仲間は今でも仲が良く、勝俣先生を囲んで今年5月には「米寿を祝う会」を開催する予定だ。
勝俣先生には仲間を思う気持ち、外に向かって前進することが大切だと教わった。

3.川越市立城南中学校「笹田道場」
 中学1年の7月7日、笹田道場の門を叩いた。期末テストが終わり、接骨院で診察中の笹田延男先生を訪ねた。「柔道部に入りたいので、申込みに来ました。」じろっとにらまれたが、すぐに入部が認められた。しばらくは便所掃除と受け身の練習をしていた。
夏休みで帰省した天理大学の岸田さんが、一人で受け身の練習をしている私に声をかけてくれ、大外刈り、内股の技を教えてくれた。
いまだにその技しかできないが・・・。
 笹田先生は厳格そのもので、満州での戦争体験を必ず中間テストや期末試験の一週間前に全柔道部員を道場に集め、訓話をされた。全員正座で約30分だが、話を忍耐強く聴いた。「先生は満州の厳寒のなかの訓練でクタクタの体に鞭打ち、トイレの中にろうそくを灯して、天井に柔道の帯をぶら下げそれを持って教科書を読んだものだった。それに比べればよい環境の中にいるみんなはしっかり集中して勉強しなさい。」
 また、試合や大会の前にも戦争体験のお話、「敵の砲弾にあたる人間は躊躇して、尻籠りしているものがほとんどだ。敵に向かって先頭を突っ走っていくものには、弾はほとんどあたらないものだ。試合も同じだ。最初から攻めていけ、先手必勝だ。」
 したがって、強いものが先鋒と決まっていた。また、試合中相手にわからないように暗号を駆使して戦法を指示していた。
今でも思い出すのが、中学2年生の春の埼玉県学徒大会の決勝戦。対戦相手は宿敵埼玉大学付属中学で何回も煮え湯を飲まされてきた。2対2で代表決定戦。私と岡村選手。大外刈りを返されて負けた。涙の敗戦だった。川越に帰ると選手全員道場に直行。受け身100回と打ち込み100回。悔しさと疲労で道場に座りかけたところ、出前の「かつ丼」が届けられた。道場の奥様が熱いお茶を出してくださり、涙をこぼしながら夢中で食べた。その美味しさは抜群であった。いまだに私の大好物は「かつ丼」。その時の体験が忘れられないからでしょう。笹田先生のあったかい配慮はまさに「飴と鞭」であったような気がする。
笹田先生は、残念ながら昭和50年12月に他界、奥様も平成23年2月に亡くなった。

4.早稲田大学柔道部名誉師範大澤慶巳十段
 川越のいも柔道、いつもあさっての方向に技をかけている屁っぽこ柔道と私は大澤先生に酷評ばかりされていた。
大澤先生の体育実技や夏期講習の実技助手を何回か務めたことで、柔道の基本を論理的、体系的に学ぶことができた。確かに稽古しているときは先生、先輩の技を「見取稽古で盗み」それから自分の技にするために反復練習することが大切であるが実技の助手も非常に役に立った。
 私の米国ミシガン州での柔道指導方法は大澤先生のカリキュラム通り実施した。受け身を重視し、基本に忠実な柔道普及に努めたつもりだ。
 また、夏期講習の時の昼飯は「三品食堂」の大玉牛をごちそうになった。これも忘れられない味わいある丼物であった。
2年ほど前の2月、村山前主将ら数名で「八幡寿司」の二階で会食していたら、八幡の女将さんから「大澤先生が下に見えておられます。」すぐにご挨拶をし、何杯がワインを飲みながら「豊二、学生時代はマアマアだったな。」八幡の四代目の親父さんが「豊二さんよかったですね。大澤先生に褒められましたね。」嬉しくなってさらにワインを飲んでしまった。

5.終わりに
 吉村拓郎監督に2月頃「監督の声、ちょっといい話」を読んで感動した旨のメールをしたところ、「青畳の記憶」を書いてほしいとの返し技の依頼があった。
渡邊昌史君に100年史の記事を確認して、その記事との重複を避けるため「青畳の記憶、三人の恩師」にした。
直接柔道に関係はない勝俣先生をあえて載せたのは「他者への感謝と自らの慢心をいさめる気持ちを持ち続けること。」「武道の心」を伝授して貰ったからだ。

 最後に早稲田大学柔道部の学生諸君に「狂気なくして狂喜なし!」を送り、2012年の活躍を楽しみにしている。
さらに、ギネスブック登録に値する寒稽古皆勤を継続中の三野 寛君に「青畳の記憶」のバトンを引き継いで貰います。

[2012年05月23日]