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コラム『青畳の記憶』~OBからの寄稿文~

第3回: 12人抜き
橋本裕司(平成8年卒)
橋本裕司(平成8年卒)
橋本裕司(平成8年卒)
三井生命保険(株)勤務

 同期の川合君の強制指名により投稿させていただきます。(遅くなってすみません!)
 私は平成4年に社会科学部の自己推薦で入学しまして、2人の強い同期(志田康弘君と川合孝弘君)に鍛えられて4年間を過ごしました。入学当時の早稲田は2部落ちしており、早く1部に復帰するという目標で練習に取り組んでいたのを覚えています。朝トレ・道場練習・毎月の合宿と自宅から通えるはずなのに何故か寮生活をして柔道漬けの日々を過ごしたのも頼もしい同期の2人がいたからではないでしょうか。個人戦での結果は残せませんでしたが、団体戦では思い出に残る試合が結構あったのだなって今になって思います。今回はその中の一つ早慶戦について書きます。

 平成5年10月24日、場所は日吉記念館。当時2年生だった私の出番は5番目でした。1年生の時は引き分けで終わっていただけに、気合十分で最初の試合に臨み、相手は6番目で酒井さん。小柄な相手だったので、絶対に抜かなきゃという気持ちと気合が空回りして、技が全く決まらず焦りまくり、試合時間残り僅かなところでようやく抑え込んで勝てた事を覚えています。(もしかした、引き分けていたかも?)でも、その勝利をきっかけに肩の力が抜けて白星を積み重ねる事が出来たと思います。試合後に応援に来てくださっていた先輩から、「お前途中から練習しているみたいだったよ」と声をかけられたのが強く印象に残っています。相手も必死に向かって来る訳ですから気も力も抜けない状態が続いていましたが、途中から息が上がっていたのも忘れた状態で試合をしていました。あのような感覚で試合が出来たのは、後にも先にも早慶戦だけでしょう。当時、記録を意識して試合をしてはいなかったのですが、結果、こうして記録として残っているのは自分としては嬉しい限りですが、今後、この記録が後輩に破られることを期待しています。

 余談ですが、試合2週間くらい前に小野澤先生から、練習中に「やる気がないなら帰れ!(怒)」って怒られたのが発奮材料になったのかもしれません。でも、試合後は肋軟骨痛めたり、腕にヒビが入っていたので練習休んじゃいましたが・・・。

 ということで、私の話は終わりなので、川合→橋本ときたら・・・やはり平成8年卒社学自己推トリオ、我らが最強キャプテン志田康弘君に繋ぎたいと思いますので宜しくね!

12人抜き01

追伸:5月にようやく長男が誕生しました!将来早稲田に入学出来ればよいのですが・・・

[2010年08月02日]