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コラム『青畳の記憶』~OBからの寄稿文~

第8回: 思い出話
佐野真一(平成3年卒)
佐野真一(平成3年卒)
佐野真一(平成3年卒)

こんにちわ、平成3年卒業の佐野です。
早いもので大学を卒業してからもう20年という月日が流れてるんですね・・・
あっ、ちなみに吉村監督も同期ですので同様にもうオッサンです。

学生時代は吉村監督から「天敵」などと呼ばれ毎日のように言い争っていたような気もするが・・・今考えてみると何でモメていたのか理由がさっぱり思い出せない!?
実際毎日顔を合わせていたらそんなもんかもしれない?
別に大した確執があるわけじゃあないし、今ではたまに顔を合わせると近況報告なんかもしたりしているなぁ。

同じ釜の飯を喰った仲間といえば聞こえはいいけれど、大学で柔道部という異様な集団に在籍していればそりゃあ他の学生よりも濃〜い学生生活を送れることは間違いないでしょう。
社会人となってから「自分も大学時代は体育会系だったんですよ!」という輩には結構な確率で出会う。
「授業やバイトとか大事な用事以外は強制的に練習参加だったんですよ〜!」とドヤ顔で言われるが、「バイトで練習休める体育会『系』ってなんだよ〜」と思いながらもあえて突っ込まずにいる・・・ええ、もう大人ですから。

今考えると、本当に追い込んだ練習ってどれくらいしただろう?そう思うとあまり胸を張れないけれども、それでも普通の人じゃあ経験できないことをやってきたと思う。
肉体的にも精神的にも過酷な経験をしたことは、案外と自信につながっている。
仕事のストレスと柔道の稽古が違うのはわかると思うが、自分の精神の限界というものを知っているとその一歩手前で抑える術も身に付けているのは財産でしょう。
これも諸先輩方にイジ・・・いや、可愛がっていただいた賜物だと思う!?

学生当時はこれっぽっちも考えていなかったけれども、柔道部で過ごしてきた同期とはやっぱり他の人とは違う『絆』があるし、卒業して何年かすると気づく時が来るでしょう。
もう10年くらい前になるかな?同期の森川の結婚式で熊本に集合したことがあった。
披露宴・二次会と楽しく過ごし、一泊した後に皆が帰る前に昼飯を食べるのに美味しいと評判の熊本ラーメンの店に同期5人で入った。

「おばちゃん、大盛り10杯ちょうだい!!!」

現監督の吉村が叫んだ!

「もう学生じゃないんだからさぁ・・・」みんなして苦笑しながらそうつぶやくが、久しぶりに柔道部時代のノリに出会えてちょっと嬉しかったりもした。

同期は全員で7人なんだが、確かこの時は6人が集合した。
ちなみに卒業以来7人全員が揃ったことは無いんじゃないかな?
日本全国、場合によっては海外に行く者もいるので、会えるときに会っておいた方が良いでしょう。

同期はそれぞれ個性的なメンバーが揃っていたと思う。

まずは現監督の吉村。
館山合宿で早朝寝起きすぐに合宿所に響き渡る大声で「うぎゃおぉぉぉ・#$%&@¥#・・・!!!!」と奇声を発し、当時の山本先生から「彼は頭大丈夫かね?」と心配されていた。
早稲田の道場で練習後に道脇にパンツを奪われ、窓が開いて外から丸見えな道場内をフル○ンで追いかけまわしていたが、どうも本気で追い付こうとしていなかったように思える。
今こうして文章にするとなんか楽しそうな思い出なんだが、恍惚の表情で追いかける姿を見て「あぁ彼はヘン○イなんだな。」そう思った瞬間でもあった。
ただし学生諸君は間違っても監督のパンツを奪って逃げたりしないように・・・これだけはお願いしておく。
しかし、こと柔道に関しては至って真面目だった。
同期が言うんだから間違いないし、吉村が監督になったことで私も再び柔道部に顔を出すきっかけになったのは確かだ。

次は初代特薦入部の道脇。
彼の柔道センスは間違いなく天才レベルだったと思うが、ついに本気で柔道に取り組んでいる姿を見ることは無かった。
個人戦の3日前に大盛りランチを食い、「やべ〜10kg以上オーバーしているよ〜」とニコニコしながら語る姿が思い出される。
サウナと下剤を駆使し、わずか3日で10kg以上の減量に成功するが、顔はゲッソリ肌はカサカサ・・・とても試合に臨めるような状態じゃないことは一目瞭然。
「どうだ〜、スゲ〜だろう」ニコニコしながらドヤ顔で言うが、「頑張るとこはそこじゃないんじゃね?」そう思いながらも何も言えなかった。
1回戦の1分以内だったらおそらく最強だったと思うが、やはり勝ち上がっていくとスタミナ負けしていた。
まあある意味ドMだったんだろうと納得している。

続いては迷主務の月岡。
彼と酒は切っても切れないだろう。
朝起きたら前歯が無くなっていたが、何があったのか酔っ払っていて未だに判っていないらしい。
寮の朝練で集合する時、パンツ一丁で表に出てきてフラフラしながら靴も履くことが出来ない。
みんなが「大丈夫か?」と声を掛けても「らいじょうぶれす・・・」と呂律も回っていない。
見かねた当時の主将が「月岡、寝てろ!」と一言。
怪我でも病気でもなく、酔いが醒めていないという理由で練習を休んだ人間を他には知らない。

酒と言えばもう一人が森川。
火の国熊本からやってきた彼はとにかく酒に強く、月岡と違い乱れることは少なかったように思う。
だがしかし体は弱く、怪我や病気が多かった。
「風邪で頭が痛いんで・・・」と言って練習を休むこともあったが、それはきっと二日酔いだったんだろうと今でも思っている。

後は山村。
同期の中では珍しく練習熱心だった。
入部した当時は決して柔道は強くなかったが、先輩からの強烈なシゴキに耐え(よく辞めなかったなと今でも思っている)早慶戦で優秀選手に選ばれた時は本当に嬉しかった。
とにかく読書家で移動中は常に本を手放していなかった彼だが、「これ面白いよ」と勧めてくれる本は意味不明な内容のものが多かった。

最後に石塚。
100kgを超える巨体でスリスリと甘えてくる様は、もしかしてそっち系なのか?と思うこともあったが、今では3児の父なのでその心配はいらなかった。
癒し系の彼がいたからこそ、一歩間違えればギスギスしかねない人間関係の緩衝材になっていたような気もする。
今は大阪在住なのでしばらく会っていないが、毎年やり取りしている年賀状の写真で、年々痩せていく彼の姿に一抹の不安も感じている。
厄年は過ぎたとはいえ、年齢的にも様々な病気のリスクが増えてくるのでお互いに健康には注意したい。

まあそんな感じで同期は個性的なメンバーだと思っているが、よく考えてみると先輩も後輩もどの世代も個性的な人間が揃っているなと思わされる。
考えてみれば大学で柔道をしようなんて人間だ、個性的に決まっているわ。

なぜか柔道の思い出を考えると、試合で負けたことや苦しかった稽古のことはどんどん忘れて行くんだが、先輩に呑みに連れて行ってもらった事や楽しかった事だけは今でもはっきりと覚えている。
人間の脳なんてうまく出来ているもので、過去はどんどん美化されていくものなので、学生諸君も今は厳しい練習かもしれないが、将来はきっと楽しかった思い出として美化されていると思うよ。
学生時代は部員同士でたとえギクシャクした関係であっても、将来はきっと笑いあえる日が来ると思うよ・・・なんといっても柔道という異常なことをしていた仲間だったんだから。
改めて考えると「あぁ、あの頃が青春だったんだなぁ・・・」としみじみと思い出す時があるよ・・・口に出すのはちと恥ずかしいけど。
卒業すると仕事で全国バラバラになると思うけれども、せめて同期の結婚式だけは全員が集まれるようにして欲しい。
新郎新婦の親戚からは異様な集団だと思われるだろうけれどね。

思い出話01

[2011年05月01日]