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部員日誌

你好  2016年12月22日

こんにちは。

3年の矢野です。

早稲田アスリートプログラム(WAP)の柱のひとつに
「人格陶冶のための教育プログラム」というものがあります。

素晴らしい人間性を創り上げることは、
早稲田の学生として、また体育各部の部員として、
至上命令の一つであることは間違いありません。

では、そのゴール(一生追い続けるものなのであれば、
その過程を図る基準)はどこにあるのでしょうか。

何が私たちの人格を規定するのでしょうか。


私たち(少なくともこの文章を読んでくださる現代に生きる方々)は
社会という枠組みの中に生きており、
自分以外の人間との相互関係の中に暮しています。

その中で、私たちは自然に周りからどう見られるかを
考えて生きています。

スリッパを揃えなくても、脱いだ服を畳まなくても逮捕されません。

部室が汚くても誰も死なないでしょう。

しかし私たちはスリッパを揃えろと言われ、
脱いだら畳めと教わり、部室が汚いと説教されます。

なぜでしょうか。

そんなものは各自の美的センスに任せておけば良いと思いませんか。

それではいけないのです。

私たちは社会の中で共同生活をしているからです。

社会の中の大多数の人間は、スリッパは揃えてある方が綺麗に見えて、
脱いだ服は畳んである方がスッキリして、
部室が綺麗な方が気持ち良いようです。

という具合に、小中高で洗脳されてきました。

このように私たちは、周囲の目と自分の思考の微妙なバランスの中で
判断し、行動しているわけです。

周りから評価は一つの人格なのではないでしょうか。


また、各コミュニティで人格を器用に使い分ける人もいるでしょう。

柔道部ではこんな僕でも、学校では全く違う顔なのかもしれませんよ。

でも、それはすごく大切なことで、
社会の中で生きて行くとき必要なことだと思います。

立場、役職に応じた振る舞いをするのもそのうちの一つでしょう。

肩書きに自分自身が規定されると考えるのは少し違和感がありますが。


皆さんは、どう思いますか?

私たちの人格とは一体なんなのでしょう?

興味がある方は私と話しましょう。

それでは、さいなら。

Author:矢野 雄大(13年)