スポーツ科学部1年園田陸斗です。
あなたがたは知らないのですか。競技場で走る者は皆走るけれども、 賞を受けるのは一人だけです。あなたがたも賞を得るように走りなさい。競技をする人は皆、すべてに節制します。 彼らは朽ちる冠を得るためにそうするのですが、わたしたちは朽ちない冠を得るために節制するのです。
(コリントの信徒への手紙:9章24-25)
古代ギリシャはスポーツが盛んでした。アテネをはじめコリントやその他の都市には立派な競技場が造られ、各種競技が行われました。 選手たちは大勢の市民の応援を受けながら、速さ、高さ、強さを競い合いました。優勝した選手には観衆から惜しみない賞賛が贈られ、彼らの頭にはオリーブの小枝で編んだ栄冠が被せられました。彼らは英雄のように尊敬されたのです。パウロはコリントに滞在中、こうした光景を何度も見たのでしょう。
この光景を回想しながら、パウロはコリント教会の信徒に宛てて大事な勧めをしています。それは「節制」についてでした。
一流のスポーツ選手は優勝を目指して徹底した節制をします。その意志の強さと厳しい鍛錬には敬服させられます。優勝した選手には、その報いとしてオリーブの栄冠が贈られます。賞を得た選手はあたかも人生の勝利者になったかのようでした。
しかしパウロはそこに1つの問題を見ています。それは、勝利者に贈られる人々の賞賛は決して長続きしない。彼が作った記録はいつか破られてしまう。すると人々の関心は次の勝利者に移り、やがて彼は忘れられた存在になってしまうのです。
その象徴が、あのオリーブの栄冠でした。彼が忘れられると同時に、栄冠はいつしか枯れ果て朽ちてしまうのです。
私の出身校は中学から高校までの6年間、毎朝礼拝があり讃美歌を歌っていました。チャプレンからの聖書の言葉は数々ありますが、その中の一節です。
一時的な勝利ではなく、朽ち果てることのない真の勝利を目指すべきではないか。真の勝利を得るために節制すべきではないか。
私は「朽ちない冠」を得るために雲外蒼天を信じ、今日という一日をしっかり生きたいと思います。