窮理在平生 臨事要明断
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早慶戦の始まり

「早慶戦」の始まりをご存知ですか?
黎明期

明治30年頃には講道館柔道が各学校で盛んに行われるようになったり、講道館主催により年に2回、春秋二季に、帝大、高師、慶応、一高、学習院などの諸学校が集まって連合勝負を行っていた。 東京専門学校からも明治32年に大関誠一郎、明治33年に加藤武平、天谷八郎、明治36年には矢野通重、内田清一がそれぞれ出場している。その後、各学校ごとの柔道大会が開催されるようになり中止された。

明治33~34年頃になると早稲田も松代林太郎2段、前田栄世、佐竹信四郎両3段をはじめとして有段者数名を有し、次第にその陣容を整えつつあった。当時の3段は専門家でも数少なく非常に少数であった。 前田は、佐竹嘉一郎、轟祥太と並んで講道館の三羽烏と呼ばれ、特に前田は実力No.1の定評があった。

・・・つづく