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コラム『青畳の記憶』~OBからの寄稿文~

第14回: 基 本 の 大 切 さ
三野 寛(昭和49年卒)
三野 寛(昭和49年卒)
三野 寛(昭和49年卒)
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 柔道着の袖に初めて手を通してから既に50年。 想えば随分永い間、汗をかき、美味しい酒を鱈腹いただき、多くの素晴しい知己を得ることができました。 早大柔道部に一般からの途中入部の許しを得た時の主将、松本豊二先輩からの指名を頂き拙文を寄稿することとなりました。

北海道の山の中から一浪して上京してきた田舎者の私にとって、早大柔道部は体育会的イメージとは程遠い紳士的な先輩(例外も)、民主的な部の雰囲気にすっかり魅了され、これなら何とか自分でも続けられるかな?と錯覚した一瞬でした。 私の出身校はスキーでは当時インターハイで全国的にも有名高でしたがこと柔道に関しては全くの不毛地帯。有段者の指導者も無く、顧問にフォークダンスの先生をお願いするような有様でした。 故山本先生、大澤先生、山崎前監督、米国から戻られたばかりの山下現会長ら錚々たる指導陣の下、当時の私には何もかも刺激的で毎日汗びっしょりになって道場の雑巾がけ掃除をしたあと受身の練習(投げ込み要員)に明け暮れた日々しか記憶に残っていません。 凛と張り詰めた空気に酔いながらも当時は部員数も多く、壁のシミとか道場のゴミなどと揶揄されていた記憶があります。

寒稽古に永らく皆勤していると云うことで百周年記念誌に拙い文章を載せて頂いたので此処で重複は避けるが、想えば卒業直後の二年を除き学生・OB通算で40年皆勤したことになる。決して無理をしてきた訳では無く、朝は暗くて寒いがあの凛として清冽な空気の中、正座しての黙想が好きなのです。 五十歳を過ぎた頃か、今も家族同士で付き合いのある同期七名が新しい柔道着を贈呈してくれ、頑張れと応援してくれました。 嬉しい限りで彼らの分も合わせて参加させてもらっている。これまで一度も病気、怪我で入院したこともなく永く続けられるのも全て健康なればこそで、亡き両親
にも感謝している。 OBの皆さんもう一度 道着を着て畳の感触を楽しんでみては如何でしょうか。

今年度から中学の体育に武道が必修となり、柔道も取り入れられたことは大変喜ばしいことだが、現場が深刻な指導者不足とか。 マスコミによると2010年度迄に28年間に柔道で114名もの犠牲者がでていると聞いて、そんなに危険な競技かと改めて驚いてしまった。 その主な原因が正しい受身もとれず後頭部を強打した為とか。 自分でも40過ぎて少しかじったラグビーのほうがよっぽど激しく危険な競技だと思っていたが、安全面で細心の注意を払っているせいか、重篤な事故はほとんど聞いたことがない。やはり柔道の基本は正しい受身から始まり、早稲田で柔道を学んだ者であれば当然正しい受身が出来なくてはならない。 先日OBとの月例稽古に参加してみたら、恒例の大澤先生受身の試験に遭遇。 自信満々学生に混じって二度挑戦してみたが無情にも〈帰れ!〉だった。 情けないがこれが現在の姿で、いくら永くやっていてもまずは受身の練習が基本であることに今も昔も変わりはないと言うことでしょう。

それにしても大澤十段に早大道場で身近に拝する事が出来る、何と幸せなことでしょうか。現役学生諸君!今はまだ気がついていないかも知れないが、皆さんは間違いなく最高の師範と道場に恵まれていると云うことに誇りを持って欲しい。 吉村監督は公私多忙の中で、実に献身的に良くやってくれていると思う。 改めて感謝申し上げると共に近い将来必ずやその苦労が報われる日がくることを祈念したい。 その時はそれこそ全身全霊で美酒に酔いしれたいと期待し、学生諸君の奮起を心から願いたいと思う。

基 本 の 大 切 さ01

基 本 の 大 切 さ02

次の投稿は寮監としても永らく貢献された内間次男君(昭和54年卒)にバトンタッチしたい。

[2012年09月10日]